由緒

広島市佐伯区に鎮座する観音神社は、延喜3年(903年)清明次判が伊勢の国から御祭神を勧請した、この地方では古い社です。

明治の中期頃まで当地方には、小さな村落として、倉重・千同・坪井・三宅・屋代・佐方村があり、それぞれの村には村社・摂社・末社を含めて24の社がありました。村民は全て氏子であり、神社は氏子の懸命な奉仕によって護持されていました。

観音神社蔵 木製狛犬

観音神社蔵 木製狛犬

このように悠久の歴史の中で先人達が守り続けた氏神は、一村一社という国の勧奨に従い、明治43年11月にそれぞれ由緒のある千同の白鳥神社、坪井の苔生神社、三宅の武内神社・蒲神社・貴船神社、屋代の工宮神社の六社を、坪井村村社苔生神社の境内地に合祀し、四宝神社と改称しました。

次いで昭和34年5月24日、倉重の高山神社と四宝神社を合祀して現在地に社地を選び、高山神社の本殿を移して改築、翌35年2月に拝殿・弊殿および祝詞殿を造営して観音神社と改称しました。

その後、平成の御大典事業として社務所を建設、平成14年には観音神社御鎮座1100年の記念事業として社殿の修復、境内の整備等を行い、現在に至っています。